生活。

日々の営み

ゆまちょエビバディ

2016年3月22日、彼女は死んだ。

突然の訃報とはよく聞くが、まさか自分がそれを体験するとは思いもしなかった。しかも友人の死で、だ。

 

彼女は私より6つ上でもし生きていたら32歳。亡くなったのは24の頃。とっくにその年齢を追い越してしまって段々と記憶も薄れてきてしまった。

 

当時私は付き合っている人がおり、その人は神奈川に住んでいたので転がり込む形でそこで過ごすようになった。関東圏に住むとなれば、好きなアーティストのライブに行く頻度も自然と増える。あの時私は15,6歳で周りの人と比べても年齢が若い方だった。周りはみな大学生で、その中でもゆまちょはお姉さんだった。恐らくフリーターで実家暮らし。あまり私生活の話をしなかったから彼女がどんな家庭環境だったとか、幸せだったとか不幸せだったとかは全く知らない。ただ、好きなバンドやアーティストが一緒で参加するライブも一緒になることが多かった。キュウソネコカミKEYTALKthe telephones、色々なライブでよく一緒になった。ライブには行ったこと無かったけど、凛として時雨アジカンPerfumeもお互い大好きでその話でも盛り上がった。

 

彼女はとにかく周りの人に愛されていた。嫌われやすい私とは全くの真逆で皆に愛され、慕われていた。だから彼女の死がとてつもなく悲しく、寂しく、辛いものだった。彼女の死があったからか、私は当時働いていた職場を辞め、沖縄に戻り、恋人とも別れてしまった。全てがぐちゃぐちゃになった。彼女が今も生きていたら色んな人の色んな人生が変わったのだろうか。少なくとも私の人生はこうなってはいなかっただろう。こんな言い方をしてしまうと彼女に対して責任を問うてるようで言い方が悪いかもしれないが、事実、私の人生は変わったと思う。

 

毎日あなたのことを想う。なんてことはない。でも忘れたことは無かった。ずっとここにある。不意に思い出す。もう会えないのか、今でも信じられない。いつでも会えると思っていた。死んでしまう二日前、会えるタイミングはあったのに、どうして会わなかったんだろう。どうしてまた"次がある"なんて勝手に思ってしまったんだろう。会っていたら何か変わったのか、後悔は無かったか、今でも思い出す。ゆまちょの声が、顔が、動きが、愛しく思う。忘れないだろう、忘れたくない。私の名前を呼んでくれたこと、優しかったこと、面白かったこと、たくましかったこと。

 

 

まだ会いに行けてないけど近いうちに会いに行くからね、待っててね。

 

 

弥生

2011.3.11

 

誰もが忘れはしない

 

その日、私の中学校では卒業式があった。と言っても私は当時一年生で作られた花びらを持ち、一、二年生らで花道を作って体育館の外で待っているだけだった。自分たちの行事でもなく、準備や片付けやらで別にウキウキもワクワクも無かったことを覚えている。

 

式が終わり、いつもの仲良しメンバーとダラダラと帰路についていた。その日私は道端に捨てられていたエロ本を拾って持って帰った。「汚ねえ〜」「ええやん」と、そんな会話をしながら。

その日は友達三人が私の家にそのまま遊びに来ていた。当時はスマホが出だしたばかりでまだガラケーが主流だった。し、私の中学校では携帯電話自体を持つ学生は半分も居なかったように思う。「ケータイを持つのは高校生から」なんて家庭も少なくなかった。

 

友達と私の家に帰り、何をする訳でもなく寛ぎながら私たちは過ごしていた。すると母が部屋に訪れ

「なんか凄いことになってるよ」

それだけ告げてきた。

「なにが?」

まだうちはアナログでブラウン管のテレビだった。どこもかしこもニュース番組が流れ大きい地震があったと告げたいた。

私が住むのは沖縄で、記憶が正しければ唯一地震の揺れが無かったと思う。だから家に帰ってテレビを見るまでなんの情報も得られずそれを知ることは無かった。知った時も「まあ沖縄は地震そんなに無いし、向こうは大変だなあ」と、大して深く考えていなかったのだ。

けれど、東北で地震があったのにも関わらず、津波は沖縄にも到達していた。たったの50cmだけだったが、この距離のことを考えれば言うまでもない。

当時は何も知らなかった。まだ齢13の私には、何も。

 

普段やっているドラマ、バラエティ番組、音楽番組、そんなものは何一つ流れなかった。ニュース番組がただひたすら流れ、CMもAC JAPANのものばかり。当時、「ポポポポーン」というCMが流行った。嫌という程流れた。嫌という程流れたせいで「エーシー」とCMの最後に言うメロディが無音に変わっていた。

テレビで地震の映像、津波の映像が流れる。逃げて泣く私より幼い女の子。毎日増え続ける死傷者。13歳の私は繊細だったのか、それだけで何故か泣いてしまった。別に被害にあった訳では無いし親族がいた訳でも友達がいた訳でもない。けれども、数字で見ると、映像で見ると、それを目の当たりにしてしまうと、何も他人事のようには思えなかったのだ。

 

こんなことを言うと不謹慎だと思うけれど、私は何も分からなくて何も知らない。怖かったことも苦しかったことも分からない。それが、とてつもなく寂しく感じてしまう。共感できないことが、沖縄という土地で救われてしまったことが、すごくポツンと一人に感じてしまう。沖縄にいて何も分からなかった自分が、自分たちが、コイツらは、私たちは何も分かってない、ことの重要さも、痛みも、何も。そう思うととてつもなく寂しく、腹立たしく思えてしまう。

 

私に出来ることなんて何も無いんだけれど、想うことはさせて欲しい。

 

 

P.T.A

「ライブって難しいな」

先日ライブを見て改めて感じた。

 

2023年11月18日土曜日。Perfumeのホールトゥワー沖縄公演があり、今回のPerfumeのツアーはP.T.A(Perfumeのファンクラブの名称)会員限定ツアーだった。初の試みとして非会員の人をひとり同伴者として連れてこれるというもの。私は周りにPerfumeを聴く人間がおらず、まあいつも通りぼっち参戦でした。

 

Perfume、今はもう国民的なアーティスト。老若男女名前くらいは聞いたことある、全然知らなくても「チョコレイトディスコくらいは知ってるよ。」って人も多いんじゃないかなと思う。

でもこれは体感なんだけど、「Perfumeファンです!」「めちゃくちゃ好きです!」という人間があまり周りに居なかった。沖縄という土地柄もあると思うけど(偏見だが音楽に疎く、ミーハーが多い)本当にPerfumeのファンに出会ったことがない気がする。そんな私はPerfumeのファン歴で言うと15年になるのだが、じゃあ古参でなんでも詳しいかというとそんなことはなく、今回がPerfumeのライブ初参戦だった。15年Perfumeを好きで聴いてたのにも関わらず、その日、初めて、やっと、Perfumeを生で見た。ライブは割と行くほうだと思うのだが、今まで機会を逃し続けて気付けば25歳。10歳の頃から聴き続けているのにその間一度も足を運ばなかったことは自分でも本当に驚き、と同時にかなり勿体ないことをしていたなとも思う。が、そもそも今回Perfumeが沖縄に来るのはなんと11年振り。P.T.A発足から15周年のツアーで11年振り。来なさすぎだろ。

でもPerfumeだけでなく、割とどのアーティストも沖縄にはなかなか来なかったりする。恐らく簡単には"来れない"が正しいとは思うが、そんな中今回ファンクラブ限定とは言えツアーの中に沖縄を入れてくれたことは本当にファンとしては嬉しい限りでしかなかった。

私は15年間Perfumeを聴き続けていたが、P.T.Aの会員ではなかった。それは私がシンプルに貧乏であること、好きなアーティストがかなり多く、故に入るファンクラブが限られることだった。まあいい訳にも聞こえるとは思うがそんな理由で入っていなかった。何かしらのオタクならわかると思うのだが、ライブなどに行かない(行けない)となるとファンクラブに入っても正直恩恵は感じづらく、入る必要性もあまりなかったからだ。結局全て言い訳ではあるのだが、沖縄に来るこのチャンスを逃す訳には行かねえ!と意気込み、晴れて私はP.T.Aの会員になった。しかも一次申し込みで当選した。

 

そこから数ヶ月がたち、やっとPerfumeを初めてみたのだ。結論から言うとPerfumeは勿論可愛くカッコよかったのだが、普通にファンが怖かった。沖縄公演ということもあり、会場SEには沖縄のアーティストの楽曲がチラホラ流れていた。DAPUMP、SPEED、BEGINなど。「いや選曲古いだろ」と思いつつ沖縄だからなのかなあと特に気にせずにいた。開演10分前になると突然前方の方から叫び声が

「あぁぁ〜〜〜〜ぁ〜あちゃぁ〜〜〜ん‼️」

普通にびっくりして「えっ?」と声が出た。するとまた別の席から

「ゆっかちゃーーーーーーーーーーーーーん‼️」

そう、オッサンのオタクたちが野太い声でメンバーの名前を叫び始めたのだ。彼らの声はとても大きく、厚く、迫力があった。私は女性アイドルを推してることは何度かあったが、Perfumeもそれと同様に扱われている事実に素直に驚いた。「え?あ?そういう感じなの?」

冒頭で述べたが私は当日ぼっち参戦をキメ込んでいた。初めてのPerfumeのライブでひとりで。楽しみではあったがずっと緊張していた。心臓がとび出そうなほど。なんせ15年聞き続けていた大好きなアーティストだったから。でも、その歓声に私はやられた。悪い意味で。

本当に怖かったし泣きそうだった。これは別にオタクが悪いわけじゃないし、事前に情報を入れなかった私も悪いと思うのだが、普通に発作が出そうになったし(幸いでなかったが)あの空気感がもう少しでも続けば泣き出していたかと思う。が、開演10分前とかだったので助かった。しかも、BEGINの「島人ぬ宝」がSEで最後の方に流れた時、客席が一斉に合唱し出し「イーヤーサーサー」コールが止まらなかった。私は沖縄県民ではあるけれど、沖縄自体が好きではなく、沖縄の"そういうもの"に触れるだけでかなり体調が悪くなってしまうタイプだった。その場を何とか耐えしのぎ、17時を少しすぎた頃、ようやくライブが始まった。

 

白い衣装を纏った彼女たちはまるで天使のようだった。ふわっとしたドレスのようなものを着ており、一曲目に始まったのは「Moon」。ばらかもんというドラマの主題歌になっている先日でたばかりの楽曲だ。「一曲目はMoonか…!いいね……」とPerfumeを文字通り体感しながら私は心が飛び跳ねていた。そして二曲目「DreamFighter」。私はここでもうダメだった。DreamFighterはライブ定番曲でありつつも本当に名曲で、Perfume好きな人間は十中八九好きだと思う。みんな好き。もちろん私も大好きな曲のひとつ。暗いメロディでも暗い歌詞でもないのに私はDreamFighterで涙が出て止まらなかった。自分でもなんで泣いているのかは分からない。実際Perfumeが目の前にいるから?好きな楽曲だから?嫌な気持ちが解けたから?全てあると思うしほかの要因も勿論あるとおもう。でもそこで実感した「ああ、Perfumeが目の前にいる」と。ずっと好きだった。感動ってこの事なのかなって そう思った。

そこからエレクトロワールド、セラミックガールと続き無事オタク(私のことだ)は死んだ。DreamFighterで泣いたけど、セラミックガールはズルくない?オタクは共感してくれると思うけどセラミックガールって……。トータル通して結果セラミックガールに私は持ってかれたな〜なんて思う。「GAME」からPerfumeに入ったオタクだったからGAME楽曲を聴けるのはやっぱりデカかったんだろうな。本当に楽しかったし嬉しかった。

そこからのセットリストは本当に「マジでコレ誰が知ってるん?」みたいな古参向けのもので、本当にP.T.Aの為にP.T.Aと共に作ったライブだったんだな、と実感した。MCやP.T.Aのコーナーなどでメンバーの話なども沢山聞けてそこも充実してて勿論楽しかった。後に分かったことだがその日あ〜ちゃんは尾てい骨を骨折していたらしく、でもそんなことを全く思わせない動きで本当にプロってすごいなあなど感心してしまった。

MCなどが割と、というかかなり長く、「曲全然やってなくない?山崎まさよし並に喋ってるんじゃない?」なんて思ったが、後々セトリを見ると普通に16曲やっていた。むしろファンとの交流+楽曲披露も手を抜かない彼女らが凄すぎてひっくり返った。毎回そんな密度でやってるの?Perfume。凄すぎるだろ。

 

気付けばもうアンコールになっていた。ほかのアーティストのライブのアンコールって手拍子だけが多いと思うんだけど、Perfumeは年齢層が上めなのもあるのか「アンコール!アンコール!」と実際に叫んでる人がたくさんいる感じだった。しばらくして三人が戻ってきた。かしゆか、のっち、あ〜ちゃんが一人ずつ感想、想いなどを述べていた。三人からはファンに対する想いとかが真摯に伝わってきて、この三人は本当に凄いと身を持って感じた。何か発言をする度観客席からは大きな拍手が起きていた。ホールなのもあってとっても音が響く。大きな音が。

あ〜ちゃんが話す時彼女は泣いていた。泣きながら話していた。

 

「昔からこの三人でツアーとかを回ってきて。ライブが終わったら楽屋でお弁当を食べ、帰りはコンビニによりそのままホテルに帰る。翌日はまたライブをし、楽屋でお弁当を食べ、終わったらコンビニでオレンジジュースなんかを買って帰る。そうやって過ごしてきていた。『明日の衣装は小さめだぞ、贅沢なんか出来ないんだぞ』と言い聞かせて。だからこの20年近くあまり地方に行っても全然楽しめなかった。でもこないだの海外ツアーで、本当に初めて楽しいと思った。長く一緒に(のっちとかしゆか)いるから、なかなかそういうことも無くって。だからとっても嬉しかった」

 

ファンの人達は微笑ましい気持ちで笑ったりしていたのだろうけど、私にはあまり笑えない内容だった。「あぁ、20年間ずっと頑張っていたんだな」素直にそう思った。あ〜ちゃんだけじゃないけど、本当にストイックなんだと思う。こないだTwitterで「あ〜ちゃんの痩せ方が病的だ」なんて話題になっていたが、彼女はただストイックに頑張っているんだと思う。のほほんとしているけれど、とっても頑張り屋さんでそれが形として出ただけで。でもそうやって我慢してきて、でも楽しいって思えたのか、良かった。と何だかほっとした気持ちもあって。でもやっぱり何だか悲しく思ってしまった。もう彼女たちは35歳。これからはもっともっと「楽しい」と思ってツアーなんかも回って欲しい。

正直一人でライブを行くには敷居が高いな、とか実際オタクたちが怖くてなんかヤダな、と思ったりもした。ライブに対する人々の想いって本当に全然違う。でも彼女たちを見てまた会いたいと思った。絶対生きてるうちにまた会いに行きたいとおもう。

 

Perfume全然知らないよ〜、ライブ分からないよ〜なんて人も、興味があればライブに行かずとも是非楽曲を聞いて欲しい。

 

今回のセトリを載せておきます(ナタリー引用)。ちなみに計3回の衣装チェンジをしており、4つの衣装を見ることが出来ました。早着替えスゴすぎる

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家族の在り方

家族とはなんだろう。常々思う。それは自分が真っ当な家族に恵まれていなかったから。

近年「親ガチャ」という言葉を目にするが、私はその「親ガチャ」に失敗した者だ。親ガチャという言葉を嫌う人間もかなり多いと思うが、これはまあ的確な言葉ではないかと思う。ものを買ってくれないだけで「親ガチャハズレだわ!」とか言ってるよく分からん奴らは勿論スルーするのだが、じゃあ私の親がどんな人間だったかお話しようと思う。

 

私の父、仮に名を文雄とする。文雄は酒飲みで煙草を吸い、ギャンブルが好きだった。釣りやゴルフ、麻雀など、いかにも「オジサン」という感じの趣味を持っていた。夜勤の仕事をしており、小柄ではあるが力はそれなりにあったと思う。酒癖が悪かったのか、とても短気だった。何かにつけて常々怒っていた気がする。

文雄のエピソードは私が産まれる前からある。私には兄がいるのだが、兄をしつける為、当時住んでたアパートの5階から宙ずりにしたりしていたらしい。私が生まれてから"マシになった"そうだが、それも定かではない。母親とは常に言い合いをしており、本人たちは喧嘩では無いと言い張っていた。そしてその母親に対しての当たりが非常に強く、見る度「ブス」「ブタ」「デブ」など暴言を吐いていた。ため息をついては「はぁ、ブタはまだ寝てんのか」などと毎日のようにブツクサ言い歩いていたのだ。子供ながらにその光景はあまりにも気持ちが悪く、呆れるものだった。

母、百合子(仮名)。百合子はとても醜かった。父親の暴言に対して呆れていたのは勿論なのだが、否定ができないほどブスでデブだった。これを「私の母です」と紹介するのはとても恥ずかしい事だった。百合子は私が生まれる頃に統合失調症を発症した。障害を持った子供を二人産んでしまい、夫の文雄にも両親(私の祖父母)にさえも強く当たられていたからだ(これは推測だが)。

百合子にはこれと言う趣味は何ひとつとしてなかった。文雄が外でギャンブルやコンペに行くのと真逆で家から一切出なかった。人が怖かったのか、自分が醜いことを自覚していたのか、何が理由かは定かでは無い。故に孤独とも言えただろう。

 

私の親は私が産まれて2週間で離婚した。偽装離婚というやつで、お金が苦しかった彼らはそれを理由に母子家庭手当を貰っていた。といっても、どう見ても愛情なんて冷めきっていただろうから「偽装」ではなく普通に「離婚」だろうな、と思う。

両親から「愛されてるな」と感じたことはあまりない。学校行事や各イベントでなにかされた経験があまりにも無かったからだ。

運動会、学芸会、授業参観、入学式、卒業式、ふたりはどれにも出席することが無かったし、クリスマスや誕生日プレゼントをまともに貰ったこともなかった。「4人兄妹、3人は兄で末っ子です」なんていうと周りからは「え〜!とっても可愛がられたでしょう!」なんて言われるけど、まあそんなことは無かった。むしろ長男が優遇されており、理由は「長男だから」。それ故に家庭内での差別は凄まじかった。長男は長男ということを理由になんでも許され甘やかされていた。のに対し、私は「女の子でしょ」という理由で何故か厳しくされていた。私のジェンダーが真っ当でないのももしかしたらこれが理由の一つなのかもしれない。

小学生の頃は母から虐待を受け、中学生の頃は父から虐待を受けた。といっても向こうの機嫌を損ねた時にだけ発動するもので毎日ではなかったので、まだマシだったのかな、とも思う。

 

こうやって書いていると、「私って言うほどヤバい家庭環境じゃないんじゃないか」とも思うのだが、結果だけ言えば私は精神疾患になり10年以上それが続いているし、その影響は計り知れないと思う。周りと比べて「そうでもないな」とか「ヤバいな」とかって思うのは、やはり軸がズレておかしくなるので辞めるに越したことはない。主観の問題で解決した方が自分にも周りにも良い。

 

大まかに私の家族を説明したけど、私は家族と絶縁している。20歳くらいの頃に自分から連絡を取らなくなった。たまに電話がかかってきては着信拒否を繰り返した。その度知らない番号からコンタクトがきては着信拒否。それの繰り返しだった。

先程叔母から連絡があった。

「お母さんすごく体調が悪くて、声だけでも聞かせてあげられないかな?」

正直とても嫌だった。母親の声を聞くだけで本当に心底イラつくし、ストレスになる。顔も声も全て忘れてしまいたいと思う。でも興味本位で電話を取ってしまった。

母親と何年ぶりかに話をした。

「ねえ、元気?ごめんね。今まで。今までごめんね。寂しかったんだよね。ごめんね気付けなくて。許して欲しい。ごめんね」

そんなことを言っていた。涙ぐみながら。

私は何も返せなかった。

「私たちみんな独りだったよね。あんたも兄も私も、みんな。みんなひとりだった。ごめんね。今更遅いよね。本当にごめん。許して欲しい」

自分でも分からなかった。彼女に何を思えばいい?どうすればいい?どういう感情かも分からなかった。が、涙が溢れては止まらなかった。

「許さなくていい、でも、ごめんね」

母は叔母に代わり、叔母が話をした。

「色々あったかもしれないけど、親は一人なんだよ。子供を育てるのって一人でも大変なのにあんたのお母さんは4人育てた。あんたも大変だったかもしれないけど、お母さんも大変だったんだよ。お母さんだけが悪いんじゃないんだよ」

そんなような事を言っていた。後ろで母は聞いたことないような声で泣いていた。赤子のようにわんわんと。

 

私は、分からない。

考える。

二人のことは一生許せないと思う。許したくもない。じゃあ今から再構築出来るか?それは無理だ。どう考えても、無理だ。じゃあどうしたら?分からない。連絡を取り続けるのも怖い。嫌だ。関わりたくない。けれど、会うべき?分からない。何も。

とっくに決別しきっていた感情は、嘘だったのだろうか。私は考える。

心が壊れた時

お久しぶりです。

と言っても私のブログの読者など恐らく存在せず、誰に向けて話をしているんだという感じではあるのだけど、形式的に「お久しぶりです」と言っている。何故ならここで文字を起こすのが約一年ぶりだからだ。

一年に一度しか書かないんじゃ、あまりここの存在意義がないような気もするが、そこは目を瞑っていただきたい。

 

去年映画の記事を書く半年ほど前に、実は自分のことを書こうとしていた。内容は「心が死んでしまった」というようなものだった。どういう風にこころが死んでしまったかというと、大好きな音楽が一切響かなくなってしまっていた。

私はthe cabsというバンドが好きだった。そしてそのギターの高橋國光がやっているösterreichというアーティストのライブを去年の9月に観たのだけれど、どうしてか。私はそのライブをみた時に何も感じ得なかった。それは、彼らのライブの出来が悪いとか客層が悪いとかそういうんじゃなくて、ただただ何も感じられなかった。つまり私自身の、個人の問題だった。「ああ、私疲れちゃってるのかも」そう思った。大好きなのに、なんだかずっとゆめうつつという感じであんまりよく覚えていない。知り合いが5,6人くらい居ただろうか。ライブが終わったあとに「今日も良かったね」「あの曲やってくれたね」なんて感慨深く話しているが、何故かそれも受け止めきれず、私はそこにいることがとても気まずかった。

結局、私はその年(去年)の予定していたライブを全て蹴ってしまった。ELLEGARDENのライブやPeople In The BoxPerfumeなど、私が割と昔から本気で好きなアーティストばかりであったが、今の精神状態で彼らを見てもきっと何も思えないと思ってしまったからだ。それはとても悲しい事だったし、悔しいことだった。結果的に言うと行かなくて正解だった。何故なら私はその時期全くと言っていいほどお金が無く、ほぼ不可能に近かったから。仮に精神状態が健康だったとしても行く選択肢は無かったのかもしれない。

 

そこから一年が経った。

今年2023年、3本のライブに行くことが出来た。これから残り3本残っている。要するに私は今わりと元気だ。

と、言ってはいるが、先日今働いてる職場をクビになりお金もいつもの事ながら無く、病院にも行けてない状態なので「元気です!」と言い切れる訳では無い。

 

でも最近思う。とても幸せなんじゃないかって。私は酷い幼少期を過ごし、最悪な親に育てられ、10代を棒に振ってしまったのだけれど、それでも今やっとまともになりつつあるんじゃないかと思う。つくづく(家族を除く)他人に恵まれてきたんだろうな。私は最悪な人間のままだけど、少しずつまともになっていけたらいいとおもいます。

 

前も似たようなことを書いた気がするけど、まあいいよね。

おやすみなさい

2022年個人的BEST MOVIE

ブログを建設していたことをほぼほぼ忘れていた。いつもは自分の不完全燃焼な想いとか、仄暗い内に秘めた想いなんかをツラツラと書き連ねているのだが、今回は"記事"的なものを書いてみようとおもう。

 

題して、

「今年の個人的BEST3映画」。

 

めちゃくちゃ普通な感じでとても申し訳ないのだが、まあ普通に今年見た映画(今回は劇場で観たものに限定します)で良かったもの3つを選出しようと思う。ただ、ランキングをつけるのは苦手なので順不同とさせてもらう。

まずひとつめ、「パーフェクト・ケア」

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主人公が高齢者から資産を搾り取る悪徳後見人なのだが、相手がジジババなのでもうそれはがっぽり儲けていた。しかし、次にターゲットにしたババアが普通のババアではなかった。そこから何故かヤクザ沙汰に発展しクライム寄りになって行くのだが、話の展開が面白すぎて気付いたら映画が終わっていた。

ある意味胸糞悪く、ある意味爽快感のある終わり方。伏線回収とまでは言わないが、最初から最後まで綺麗に話が作られていてかなり良かった。映画を見終わったあとに後ろにいたジジイが「為になったな〜」と一言呟き出ていったのも良かった。

 

ふたつめ、「ちょっと思い出しただけ」

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松居大悟監督による作品で、池松壮亮演じる「照生」と伊藤沙莉演じる「葉」のふたりのある"日"の話。時代は現代から過去5年ほどの同じ日を振り返るのだが、コロナ禍になってしまった今や二人に起きたこと、それがドラマ仕立てになっていて日常を垣間見る形になっている。誰にでもあるような話だったりただの日常なのだが、それがかなり刺さる。それは音楽にも理由があると思う。「クリープハイプ」の音楽。あくまでBGMのようにそこにあるのだが、昔クリープハイプが好きだった人ほどそれが刺さるであろう。私がそうだった。物語だけでももちろん成立しているのだが、音楽があってさらに完成されている。クリープハイプが好きなら見るべきだし好きじゃなくても普通に面白いのでチェックしてくれ

 

みっつめ、「トップガン マーヴェリック」

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ここにきてめちゃくちゃ王道ど真ん中映画を選んでしまいかなり申し訳ないのだが、これは文句なしだろう。マーヴェリック見たさに無印のトップガンをやっとこさ見たのだが、良くも悪くもトップガン無印は普通。「うん、まあ面白かったね」て感じ。なのに対してマーヴェリックは「バカ面白!!!!!!!!バカじゃん!!!!!!」となる。だが、マーヴェリックオンリーだと成り立たない面白さでもあるのがさらに面白い。無印をきちんとみてマーヴェリックを見るとさらに面白い。長い月日が空いた続編でここまでするとは。音楽もバリ良かった。映画館で見てよかったと思いました本当に。見てない人はぜひ見てほしいし、劇場でまだやってるとこもあるなら是非劇場でみてくれ。

 

 

元から無い語彙が紹介するにつれて薄れて行きました。とりあえずキリが良いかなと思って3つ選んだんだけど、今年後半に観た映画はそんなに刺さるものがなくて結果的に上半期オンリーになってしまいました。

今年上映ではないんだけど、今年劇場で観た映画で他に良かったのは「彼女が好きなものは」。あと衝撃的なのでいうと「女神の継承」もそこそこ面白かったです。

 

かなり雑になってしまいましたが私の2022年ベスト映画でした。皆様のベスト映画も良ければ教えてくださいませ。それでは

ダメな私を愛してくれるあなたへ

一年半前にブログをやめてきちんと文字を書くことを必然とやめていた。TwitterというSNSコンテンツで、それこそ必然と毎日毎日飽きもせず"文字"は書いていたのだが、それはたかが"文字"に過ぎない。もちろんこれも結局は文字の塊。羅列。Twitterの延長線上でしかなく、140字に囚われることなく延々と書けるようになったというだけなのだが。

兎にも角にもわたしはまた、文字というものを書こうというふうになった。やめた理由はまあ、諸々あるのだがそこは割愛させて頂く。

 

最近のわたしの日々について。

相も変わらずに希死念慮と隣り合わせで得体の知れない何かと闘っている。こいつは気付いたらそこに居て、いつの間にか私を襲う。覆うという方が正しいだろうか。包まれる、というととても優しい表現に思ってしまうのだが、虚無や焦燥感、マイナスという感情全てに包まれ覆われ飲み込まれてしまうのだ。

それは言葉に出来ないほど恐ろしい。事実、今言葉にしてはいるが、その襲われている時はただただ「つらい」という感情しかなく、言語化するにはあまりにも思考を奪われてしまう。

 

だが一年半前の私とは違い、最近はそこそこに元気だ。理由はいくつかある。

一つ、以前付き合っていた人と別れた。それは私の選択でそうした。が、自分から選択したというのに離れた直後わたしはとても崩れた。本当に死のうと思ったし、行動に移した。止められてしまったけど。でも今はちゃんと離れられて良かったと思うし死ななくて良かったと思う。

二つ、精神病院に再び通い始めた。ずっと行けてなかった。本当はきちんと通院しなければならない身であるのにわたしは鬱でそもそも動けず、約1年という期間動けなかった。だが今は薬を飲んで少しはマシになっている。恐らく。

そして三つ、多分これが大いに影響しているであろう。新しく恋人が出来た。今までに無かったのだが、これまで友人関係を続けていてそこから発展するというものだ。おそらく初めてのことだろう。友人が恋人になるというのはかなり違和感のあるもので、はっきりいって慣れない。自分も急に恋愛対象になるなんて思っていなかったのだから。 

新たな恋人が出来たことで昔の恋人を忘れる、などという典型的なパターンではあるがそのおかげで多少なりとも私の精神は安定した。前の人と違い、今の恋人はとても心に寄り添ってくれる。私が鬱に襲われ覆われようものなら、その上から覆いかぶさり包み込んでくれるような。大きく寛大である。実際大きい。 

そしてやはり思うのが、人に恵まれているということ。私がTwitterなどで「死にたい」など戯言を喚いても呆れることなく(いや私が認識していないだけで呆れてはいるのかもしれない)私のことを見守ってくれている人々。友人と言えようか。フォロワーと呼ぶにはそれを遥かに超越している。そして私はそれらに救われている。これは間違いない。今の恋人しかり、友人しかり、結局SNSがないとわたしは文字通り生きてこられなかった。生かされてきた。

生かされた、というと私が嫌々ながらそれを呑み込んできたという風にもみえるのだがそういう訳では無い。本当に生かされた、と思う。それはとても有難いことであり、救いである。と同時に大きなプレッシャーでもある。

「生きなきゃ」というプレッシャー。嫌とかダメとかそんなんじゃない。ただ、こんなにも恵まれているのにどうしようもなく死にたくなる日が来ると、本当に申し訳なくなってしまう。

「こんなんでごめんね。私のために色々してくれているのに。こんな価値のない人間に。」なんて思ってしまう。

自分を卑下することで他者を傷付けてしまうということは、もう何年も前から分かっているはずなのに、20半ばになっても尚、私はそれを治せずにいる。分かっててやってしまうからタチが悪い。でも今この場で感謝させて欲しい。

いつも支えてくれる皆、本当にありがとう。 

本当に自分はどうしようもないと思う。自分のダメさを家庭環境や過去のせいにしてばかりで今の自分と向き合わない。ダメだとわかっているのに進まない。向き合ってくれる人、支えてくれる人、優しい人らがいる中でそうしてただ駄々をこね蹲っているだけで何もしないのだから。だけれど、そんな自分にも皆は手を差し伸べてくれる。手を差し伸べずともただ「そばにいて」くれる。それだけで、何よりも何にも変えがたく喜ばしいことだと本当に思う。

そして自分はもう少し、ほんの少しでいいから自分自身を愛せるよう努力したい。

 

いつもの如く何を書いているのか分からなくなったが文字をツラツラと書くのは久々なのでやはり慣れない。だが最初はこんなものでしょう。きっと。

 

次は音楽の話でも。