生活。

日々の営み

家族の在り方

家族とはなんだろう。常々思う。それは自分が真っ当な家族に恵まれていなかったから。

近年「親ガチャ」という言葉を目にするが、私はその「親ガチャ」に失敗した者だ。親ガチャという言葉を嫌う人間もかなり多いと思うが、これはまあ的確な言葉ではないかと思う。ものを買ってくれないだけで「親ガチャハズレだわ!」とか言ってるよく分からん奴らは勿論スルーするのだが、じゃあ私の親がどんな人間だったかお話しようと思う。

 

私の父、仮に名を文雄とする。文雄は酒飲みで煙草を吸い、ギャンブルが好きだった。釣りやゴルフ、麻雀など、いかにも「オジサン」という感じの趣味を持っていた。夜勤の仕事をしており、小柄ではあるが力はそれなりにあったと思う。酒癖が悪かったのか、とても短気だった。何かにつけて常々怒っていた気がする。

文雄のエピソードは私が産まれる前からある。私には兄がいるのだが、兄をしつける為、当時住んでたアパートの5階から宙ずりにしたりしていたらしい。私が生まれてから"マシになった"そうだが、それも定かではない。母親とは常に言い合いをしており、本人たちは喧嘩では無いと言い張っていた。そしてその母親に対しての当たりが非常に強く、見る度「ブス」「ブタ」「デブ」など暴言を吐いていた。ため息をついては「はぁ、ブタはまだ寝てんのか」などと毎日のようにブツクサ言い歩いていたのだ。子供ながらにその光景はあまりにも気持ちが悪く、呆れるものだった。

母、百合子(仮名)。百合子はとても醜かった。父親の暴言に対して呆れていたのは勿論なのだが、否定ができないほどブスでデブだった。これを「私の母です」と紹介するのはとても恥ずかしい事だった。百合子は私が生まれる頃に統合失調症を発症した。障害を持った子供を二人産んでしまい、夫の文雄にも両親(私の祖父母)にさえも強く当たられていたからだ(これは推測だが)。

百合子にはこれと言う趣味は何ひとつとしてなかった。文雄が外でギャンブルやコンペに行くのと真逆で家から一切出なかった。人が怖かったのか、自分が醜いことを自覚していたのか、何が理由かは定かでは無い。故に孤独とも言えただろう。

 

私の親は私が産まれて2週間で離婚した。偽装離婚というやつで、お金が苦しかった彼らはそれを理由に母子家庭手当を貰っていた。といっても、どう見ても愛情なんて冷めきっていただろうから「偽装」ではなく普通に「離婚」だろうな、と思う。

両親から「愛されてるな」と感じたことはあまりない。学校行事や各イベントでなにかされた経験があまりにも無かったからだ。

運動会、学芸会、授業参観、入学式、卒業式、ふたりはどれにも出席することが無かったし、クリスマスや誕生日プレゼントをまともに貰ったこともなかった。「4人兄妹、3人は兄で末っ子です」なんていうと周りからは「え〜!とっても可愛がられたでしょう!」なんて言われるけど、まあそんなことは無かった。むしろ長男が優遇されており、理由は「長男だから」。それ故に家庭内での差別は凄まじかった。長男は長男ということを理由になんでも許され甘やかされていた。のに対し、私は「女の子でしょ」という理由で何故か厳しくされていた。私のジェンダーが真っ当でないのももしかしたらこれが理由の一つなのかもしれない。

小学生の頃は母から虐待を受け、中学生の頃は父から虐待を受けた。といっても向こうの機嫌を損ねた時にだけ発動するもので毎日ではなかったので、まだマシだったのかな、とも思う。

 

こうやって書いていると、「私って言うほどヤバい家庭環境じゃないんじゃないか」とも思うのだが、結果だけ言えば私は精神疾患になり10年以上それが続いているし、その影響は計り知れないと思う。周りと比べて「そうでもないな」とか「ヤバいな」とかって思うのは、やはり軸がズレておかしくなるので辞めるに越したことはない。主観の問題で解決した方が自分にも周りにも良い。

 

大まかに私の家族を説明したけど、私は家族と絶縁している。20歳くらいの頃に自分から連絡を取らなくなった。たまに電話がかかってきては着信拒否を繰り返した。その度知らない番号からコンタクトがきては着信拒否。それの繰り返しだった。

先程叔母から連絡があった。

「お母さんすごく体調が悪くて、声だけでも聞かせてあげられないかな?」

正直とても嫌だった。母親の声を聞くだけで本当に心底イラつくし、ストレスになる。顔も声も全て忘れてしまいたいと思う。でも興味本位で電話を取ってしまった。

母親と何年ぶりかに話をした。

「ねえ、元気?ごめんね。今まで。今までごめんね。寂しかったんだよね。ごめんね気付けなくて。許して欲しい。ごめんね」

そんなことを言っていた。涙ぐみながら。

私は何も返せなかった。

「私たちみんな独りだったよね。あんたも兄も私も、みんな。みんなひとりだった。ごめんね。今更遅いよね。本当にごめん。許して欲しい」

自分でも分からなかった。彼女に何を思えばいい?どうすればいい?どういう感情かも分からなかった。が、涙が溢れては止まらなかった。

「許さなくていい、でも、ごめんね」

母は叔母に代わり、叔母が話をした。

「色々あったかもしれないけど、親は一人なんだよ。子供を育てるのって一人でも大変なのにあんたのお母さんは4人育てた。あんたも大変だったかもしれないけど、お母さんも大変だったんだよ。お母さんだけが悪いんじゃないんだよ」

そんなような事を言っていた。後ろで母は聞いたことないような声で泣いていた。赤子のようにわんわんと。

 

私は、分からない。

考える。

二人のことは一生許せないと思う。許したくもない。じゃあ今から再構築出来るか?それは無理だ。どう考えても、無理だ。じゃあどうしたら?分からない。連絡を取り続けるのも怖い。嫌だ。関わりたくない。けれど、会うべき?分からない。何も。

とっくに決別しきっていた感情は、嘘だったのだろうか。私は考える。